アニメ43話・漫画15巻125話にて登場した釘崎野薔薇の親友「ふみちゃん」
ふみちゃんは小学校入学と同時に、野薔薇の住む田舎に引っ越してきた少女で、生まれは別です。
そんなふみちゃんだからこそ、野薔薇の言う「この村では他人になることの方が難しい」という言葉がいまいちピンと来ていませんでした。
しかし、近所のおばあちゃんが赤飯を炊いて持ってきたことで、野薔薇の言葉が腑に落ちたというのです。
そして、気色悪いと感じたと。
本記事ではそんな人に向けて、ふみちゃんが村人に赤飯を持ってこられた時に気色悪いと感じた理由を紹介していく予定です。
数分程度でサクッと読める内容なので、ぜひ最後までお付き合いください!
ふみちゃんが渡された赤飯の気色悪さ
©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会
そもそも、赤飯を炊くという行為がどんな意味を持つのか?
私自身、お祝いの席などで出されるなくらいのイメージしか持ち合わせていませんでしたので、調べてみると以下のような結果が出てきました。
①日本では古くから赤い色には邪気を祓う力があると考えられており、神様に赤米を炊いて供える風習がありました。そこから災いを避ける、魔除けの意味でお祝いの席で振る舞われるようになりました。
②ひと昔前は女子が初潮(女性の初めての生理)を迎えると、赤飯を炊いてお祝いをしていました。赤飯を炊くことには「邪気を払う」「栄養を取る」など諸説あるようですが、祝うのは「子孫を残す能力がついた」からという理由が大きそうです。
①の赤飯=魔除けだった場合、呪術廻戦のテーマと合致していますが、ふみちゃんが気色悪いと感じた理由にはなりえない。
となると、このシーンにおける赤飯の意味はおそらく②
確かに気色悪いですよね。
自分にとって赤の他人が初めての生理を祝う、考えただけでぞっとします。
しかも、閉鎖された村ですから、情報の共有は滞りなく行われることでしょう。
つまり、ふみちゃん目線、村人全員に自分の初潮が知れ渡っていることになります。
この赤飯初潮事件を通して、ふみちゃんは「この村にプライバシーなんてものはない」と強く感じたと同時に、野薔薇が言っていた「この村では他人になることの方が難しい」という言葉の意味を理解した。
そう考えると、色々と腑に落ちますよね。
まとめ
今回は呪術廻戦の赤飯シーンについて語っていきました。
私自身、田舎暮らしではないですし、ましてや女性でもないので、赤飯シーンに関していまいちピンと来ませんでした。
しかし、赤飯を炊くという行為の意味を調べて理解したとき、私もふみちゃん同様、気色悪さを感じましたね。
なお、赤飯シーンは漫画よりもアニメの方が色がついている分、グロテスクに感じると思います。
そんな人はアニメ版で鑑賞しましょう!
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